
こんにちは。青井あずさです。
いつもありがとうございます。
最近のカウンセリングでは、自分のルーツを知るようなテーマが続いています。
自分の両親の話、祖父母の話まで辿っていかれる方が多いです。
パートナーシップの相談に来たのに、いつのまにか親の話になり、さらに祖父母の話になる…なんていう具合です。
私たちは無意識に対人関係をつくるときのパターンを持っています。
そのパターンは両親や祖父母と過ごしてきた日々の中から生まれてくるものです。
「人間関係の悩みの8割は、両親との関係の投影である」と言う人もいます。
だから、クライアントさんの対人関係のパターンを探るためにも、家族の話を聞いていくことが多いわけです。
中でも最近は、父親や祖父の世代の人たちの戦争体験に触れることが多いです。
あの時代を生き抜いてくれた父親、祖父との誤解を解きたい。そしてあの時代を生き抜いてくれたあの人たちの気持ちを理解して、愛したい、そんな願いを私たちは持っているようです。
私の祖父は若くしてシベリア抑留を体験しています。
祖父の青春時代はちょうど太平洋戦争の終戦から戦後にかけてでした。
そして日本に帰ってきても、地元での就職は難しかったそうです。
当時の戦後の日本は共産主義者の迫害が行われている時代でした。
シベリア抑留体験のある祖父は、シベリアに抑留されていたというだけで共産主義を疑われ、地元での働き口がなかったそうなのです。
だから、土木工事の仕事に就き、全国を回っていました。
祖父曰く、同じ土方の仲間のほとんどは復員した人たち、引き上げてきた人たちだったそうです。
どんな思いで働いてきたんだろうなといつも想像します。
祖父の青春は戦争終盤から戦後の激動の時代。
国のために戦い、帰ってきたら居場所を失う。
きっと何度も生きる意味を失いかけたのではないか。
どんな思いで生き抜いてきたんだろう。
私の結婚式の時の祖父の顔を覚えています。
私の生まれた日の写真には、咥えタバコをしながら私を見ている祖父の写真。
どんな気持ちで生まれた私を見ていたんだろう。
おじいちゃんにとって、私は喜びの存在だった!
そう感じられるようになったのは、祖父が亡くなってから3年後。
祖父のことや、戦争のことに興味をもち、調べるようになってからです。
生きている時に言ってくれなかったからわからないとか、
そう言う話はしたがらなかったから知らないとか、
そんな気持ちが出てくる時は、分離を選んでいます。
距離を取りたい理由があるからです。
もし距離を縮めたら、どんな感情が出てくるか、
それを感じたくないから距離をとっているのです。
でも距離を取りたくなるような関係性の中には
必ず愛があります。
私たちは愛を受け取り、愛されていたことを知るのが恐ろしいのかもしれません。
だって、その愛を受け取ってしまったら、長いこと受け取ってこなかった自分を責めてしまうじゃないですか。私のせいだったって思いたくなる。
でも、そんな自分の不甲斐なさを見るよりも、祖父や父の愛を選びませんか。
何度も生きることを選び、私たちまで命を繋げてくれたあの人を、理解して愛したいというのが、私たちの願いのようですよ。
よかったら一緒に見ていきましょう。
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