みなさん、こんにちは。
カウンセリングサービスの青井あずさです。
5月も半ば、新緑の美しい季節になりました。
いかがお過ごしでしょうか。

実は先日、青井のアメブロの記事を見てカウンセリングに来てくださった方がいらっしゃいました。
ありがたいことに、そのクライアント様から「また女性性の記事を書いてください」とリクエストをいただいたのですよね。
なので、今日は青井なりの女性性の使い方について書いてみたいと思います。

【好き放題していると言われて】
以前、「旦那さんのおかげで好き放題している」と言われて、カチンと来たことがあります。
「あなたが好き放題しているのは、旦那さんのおかげよね」と言われてとても頭にきたのです。
そしてこんな思いが湧いてきたんです。

「私だって、夫の両親と同居でとても苦労しているし、知り合いのいない中での子育ては大変。それに自分の仕事だってもっているし

そう思って、とてもモヤモヤした気持ちになった事を思い出しました。

当時、どうして私は「好き放題している」と言われて腹が立ったのか。

それは
稼いでくる苦労担当
夫が苦労して稼いだお金を奪う担当
と思っていたから。

夫が苦労して稼いだお金で、私がヨガやカウンセラー養成コースに通うのが後ろめたい。
夫の稼いだお金を使う自分に罪悪感を持っていたから、「好き放題している」と言われたことが図星!とばかりに怒りを感じたのです。

人は本来、誰かを喜ばせたい、人の役に立ちたいと思う気持ちを持っています。
それが、人の役に立っていない時や、自分の力を使い切っていない時には罪悪感を持つものなんですね。「やるべきことをやっていない罪悪感」というやつです。

私が好き放題していると言われて怒りを感じたのは「やるべきことをやっていない罪悪感」を感じていたからでした。

このやるべきことをやっていない罪悪感、感じるのは嫌なもの。
「やるべきことをやっていない」のだとしたら、私は夫と同じようにバリバリと仕事をこなさなければならないのか、夫と同じように働かなければならないのね!

そう思った私は、もう「好き放題してる」なんて後ろ指刺されないように、夫の仕事を手伝い始めました。

毎日やる、夫のしているように毎日、早朝から午後3時まで、毎日続けて、家事もして、子育てもして、自分の仕事もして、毎日やってみる。毎日、毎日

でも、毎日やってもやっても夫は私を労うような言葉を言いませんでした。

えぇっ?ウソでしょ?こんなに毎日頑張ってるのに、何にも言わないの?
こんなにあなたのために頑張ってるのに、何にも認めないの?
本当は「好き放題してる」って言われたくないから始めたことだけど、やっているうちに夫からの承認がほしくて、ほしくて、でももらえなくて。
私は腹が立って、ついに夫にこういいました。

「こんなに頑張ってるのに、どうして認めてくれないの?」

でも、そこで気づいたんです。
もしかして、このセリフは、夫がいつも私に対して思ってきたことかもしれない!って。

夫は、家族のために頑張ってきたけれども、私に認められなくてモヤモヤしていたのかもしれない。だから私が少々頑張ってみたって、承認する気にもならなかったのでしょう

そうか、私がするべきだった愛し方って「夫の働きを認めて、承認して、感謝すること」だったのかも!
夫の頑張りに、心からのありがとうを言うことだったのかも!

幸い、夫と一緒に仕事をしてきたことで、彼がどれだけ頑張ってきているかを知っていました。
毎日仕事を続けていくことがどれだけのモチベーションが必要で、認められなければどんなにモヤモヤした気持ちになるのか身を持って知ったわけですから。

夫が朝早くから、夜遅くヘトヘトになるまで頑張り続けるモチベーションは、家族のため、私のためです。
私たち家族を食べさせていくためだったのですよね。

34

【女性性の力を使ってみよう】
私に求められていたのは、私の「受け取る力」を使うことでした。
受け取る力とは女性性の力です。

そもそもパートナーシップの醍醐味は、お互いの得意なところでお互いの足りなさをカバーしていくことだったりします。
そうやってお互いをカバーしながら、愛情をベースにした関係性をつくっていくシステムがパートナーシップです。

私が夫に尽くすために、夫のように働くという直接支える、という方法もあります。
けれども、あの文句「どうして認めないの?」が夫から私へのものだったとしたら、私に求められていたのは、彼が私のために働いてくれていることを認め、承認して、感謝することだったのかもしれません。

女性性の受け取る力を使って、男性に活力を与えていく女性のことを「あげまん」と言ったりしますね。

彼の愛を受け取った私から、彼に与えてあげられるのは「あなたは私を幸せにしているわ!」という自信なのかもしれません。
あなたのおかげで私は幸せ!と喜んでいる私を、彼にプレゼントしてあげる、それなら夫のように働かなくても、私にもできそう。

そんな方法も、彼を愛することだとしたら。
前述の「好き放題している」と言われたことにも、違う意味合いが出てくるわけで。
「妻を好き放題にさせてあげられる夫の器の大きさ」をほめられていたのかもしれません。
もしかしたら、それは批判ではなかったのかも。

たくさん働いてくれる夫に対して、感謝の気持ちを伝えて、彼の心に活力を与えられる妻と言われていたのかもしれません。

もし今、あの時のように「旦那さんのおかげで好き放題している」と言われた時、今の私ならこう答えます。
「ええ、夫のおかげで好きにさせてもらっています。ありがとうございます」